木下優樹菜の祖父が7億の資産を築いたと噂の「どさくさ」とは?強気の理由に迫る
「タピオカ恫喝騒動」で炎上し、現在活動自粛中の木下優樹菜さん。
2020年中に照準を定め復帰を考えている木下優樹菜さんですが、タピオカ恫喝や離婚、不倫疑惑など炎上に炎上を重ねているというのに全く「焦っていない」というのです。
その背景には資産家である祖父の存在が大きいと言われています。
なんでも木下優樹菜さんの祖父は7億円の価値がある不動産を所持し、家賃収入だけでも年間数千万あるというのです。
「彼女は実家がかなり裕福なので、“何としても芸能界でやっていかなくては”という気持ちも薄いのかもしれません」
「優樹菜さんのお祖父さんは、この界隈ではかなり有名な地主さんで、アパートを何棟も所有しているんです」
「不動産の価値だけでもゆうに7億円以上。さらに家賃収入も、年間数千万円ほどになります」(地元の不動産業者)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200124-00010012-jisin-ent
しかしこの寄せられる声の中には
- 戦後のドサクサに紛れて強奪した土地ですかね?
先祖代々とはいかない人たちだよね? - 終戦直後に略奪した土地なのでしょうかね…。
- だから、ほら、戦後のドサクサに。
「前後のどさくさ」「終戦直後に略奪した土地」
などと言われていますがよくわかってないという方も多いのではないでしょうか?
戦後のどさくさとは、終戦直後に家が焼け野原になった時に起こった出来事です。
土地の仕切りなども焼けて無くなった時、ずる賢い人たちはここぞとばかりにバラックと呼ばれる仮設建築物のようなものを建てて「ここは俺の土地だ!」と主張し住み始めました。
バラック(英: barracks)は、本来は駐屯兵のための細長い宿舎のこと[1]。転じて、空地や災害後の焼け跡などに建設される仮設の建築物のこと。
引用:Wikipedia
本来ならこんなこと許されるはず無いですよね。しかし、この時はこれだけで土地の略奪が可能だったのです。
なぜなら土地の権利書も建物の権利書も焼け野原になった場所に残っているはずがありません。証拠が無いのにいくら主張したって聞き入れてもらえるはずが無いのです。
そのような理由から土地を奪われても取り返す手段が無くなり、ずるがしこい人たちは土地の略奪を成功させたという訳です。
こちらは実際に当時土地を奪われたという方の親族の方の話です。
私の親族の話ですが・・・
下町に結構広い土地を所有していて、数十軒の貸家(戦前は、かなり一般的だったそうです。)を建て、人に貸してかなり裕福な暮らしをしていましたが、空襲で焼け野原となり、境界も定かでない状況となり、そこにバラックを建てて多数の人が住み着いてしまい、土地を取り返せなくなってしまったそうです。
持っていた土地・建物の権利書は全て灰となり、国の登記所も丸焼けで、所有関係を示す証拠書類が一切なくなってしまったのです。
おまけに、貸家の再建築費用として持っていた銀行預金も、預金封鎖とインフレで事実上没収のようになってしまいました。
ドサクサで、土地が占拠した人の物になってしまったお話です。参考までに。
戦後のどさくさの具体例戦後のどさくさについてちょっと調べてますが、具体的にどういう風にどさくさしていたのでしょうか。あるいはその内容や当時の雰囲気が分かる書籍があれば教えて下さい。ネット上で調べているのですが、どうも内... - 歴史学 解決済 | 教えて!go...
木下優樹菜さんの祖父が資産家なのもこういった背景があるのではないかといわれています。
これだけ裕福なら無理に復帰しなくてもいいのではないかと思ってしまいますね。