エンタテインメント業界は新旧の世代交代が激しく、大手企業ですら安泰ではありません。
日活や大映といったかつての業界最大手ですら、倒産や吸収合併を経験しています。私にとって思い出深かった映画会社は「株式会社ザナドゥー」でした。
良質の日本映画を制作する一方で、作家性の強い外国映画も積極的に配信していました。まだミニシアターの数が多く、映画の多様性が守られていた1990年代、ゼロ年代で台風の目となった映画会社だったといえるでしょう。
ザナドゥーの倒産は、映画業界の衰退を象徴しています。「いい映画を多くの人に見てもらいたい」という真っ当すぎる思いが、実現しづらくなっていった時代背景を感じずにはいられません。
ザナドゥー倒産後、有名なハリウッドスターが出演していないうえ低予算で作られた映画はますます輸入されづらくなってきました。
だからこそ、ザナドゥーの歩みを振り返ることには大きな意味があるといえます。確かに、ザナドゥーの衰退には経営的な不手際があったのは事実です。
しかし、ゼロ年代までは存在していた映画ファンと配給が同じ夢を見て、面白い映画を追い求めていた時代は無駄ではなかったはず。
それに、才能ある映画監督を会社ぐるみで応援しようとしていたザナドゥーの姿勢は、いつの時代でもリスペクトを贈るべきでしょう。
ザナドゥーの歩みと功績を振り返っていきます。
目次
ミニシアター系作品の王者だったザナドゥーはどうして倒産した?
株式会社ザナドゥーは1996年、沼田宏樹氏によって創設されました。
当時、映画上映は大手映画会社が運営していた「ロードショー」と、経営者の嗜好が強く反映された「ミニシアター」の特色がはっきりわかれていました。
ザナドゥーはミニシアターを主戦場としながら、個性的な作品を国籍にこだわらず配給していきます。
そして、1998年に配給したインド映画『ムトゥ 踊るマハラジ』のヒットで、業界から一目置かれる会社となりました。
ザナドゥーの雲行きが怪しくなり始めたのは、ゼロ年代に入ってからです。
日本の映画産業は複数のスクリーンで大量の映画を同時に上映する「シネマコンプレックス(シネコン)」が主流になっていきました。
テレビ局が製作委員会方式でシネコン向けの大作を量産するようになり、ザナドゥーが配給していたような作家性の強い作品にはスクリーンが割かれない傾向が強まっていったのです。
そして、決定打となったのが2008年に配給した『ポストマン』でした。ザナドゥーは、同作に多額を出資し大々的に上映を展開したものの興行は惨敗に終わります。
2009年には、経営が破綻しザナドゥーは倒産しました。代表は失踪するなど、ミニシアターの時代を支えた会社にしては、後味の悪い終焉だったといえます。
- 1996年沼田宏樹氏が株式会社ザナドゥーを創設
- 1996年
- 1998年
- 2003年
- 2009年
- 2009年倒産
ザナドゥーに教えてもらった映画たち・・・倒産によって映画産業から失われたものとは
自分がザナドゥー配給作品と初めて出会ったのはやはり、『ムトゥ 踊るマハラジャ』でした。
作品が雑誌やテレビで広く取り上げられており気になっていました。
ミニシアターに足を運ぶのも初めて、インド映画も初めてという特別な映画体験は、その後の自分に大きく影響を与えました。
それから、普通の映画ファンとして過ごした日々でも、意識していたわけでもないのにザナドゥー配給作品をたくさん見てきました。
『オール・アバウト・マイ・マザー』『レクイエム・フォー・ドリーム』といった外国映画が強く印象に残っています。
現在でも、こうした良質の作品が日本で上映されていないわけではありません。
しかし、一部の映画ファンを飛び越えて、一般層にまで浸透することはまれでしょう。
ザナドゥーは、作品の魅力を前面に押し出した宣伝により、観客が純粋に「見たい」と思うような戦略に長けていました。
ほかの映画会社が奇をてらったイベントや有名人のマスコット起用などで話題づくりを狙うことが多い中、正攻法で作品と向き合う姿勢は潔かったと思います。
今の日本映画では、実現が難しいような企画にもザナドゥーは手を差し伸べていました。
貧困家庭の日常を描いた『ぼくんち』、凶暴な主人公を過激な演出で見せきった『血と骨』などは、公開当時に賛否両論がありました。
それでも、後世の映画ファンからは名作として認識されています。
作品が抱えているリスクよりも、作り手が真に表現しようとしているテーマを考え、寄り添う仕事ぶりはすべての「ものづくり」が学ぶべき理念だったのではないでしょうか。
個人的に思い出深いのは、ザナドゥー倒産直前の配給作品となった『アヒルと鴨のコインロッカー』です。
伊坂幸太郎氏の人気ミステリーを、ブレイク直前の瑛太さんや濱田岳さんといったキャストで実写化した1本です。
今となっては豪華な顔ぶれではあるものの、公開されていたころはみなさん知名度がなく、ビジュアル的にも地味な雰囲気でした。
しかも、映画は動物虐待や復讐を扱った重苦しい内容です。さらに、原作は語り口が複雑で伊坂ファンの中からも「映画にするのは難しい」との声が上がっていました。
こうした不安材料が多い作品をサポートしようとするのは、いかにもザナドゥーらしい判断で好感を持って眺めていました。
なお、映画は周囲の不安を裏切るほどの傑作でした。
ただ、私がザナドゥーの将来に危険を感じるようになったのもそのころです。
それまでは、オリジナル企画や挑戦的な企画を率先して配給していたザナドゥーのラインナップが変わったように思えたからです。
全体的にベストセラー小説を原作にした万人受けする内容の映画が目立ち、「らしくないな」という気はしていました。
何より、外国映画を配給する頻度が明らかに少なくなっていたのです。
自分がザナドゥーを注目するようになったのは刺激的な外国映画を紹介してくれていた点だったので、方針を変えたのかと思うと寂しかったです。
それでも、まさか倒産するとは予想できませんでした。
ザナドゥーは会社の未来を懸け、『ポストマン』で大作並の展開を行い、経営が続けられなくなります。
『ポストマン』は作り手の気合がうかがえる良作だったものの、決して大ヒットをするような内容とはいえませんでした。
こうした終わり方も、信念に正直だったザナドゥーらしかったかもしれません。
ザナドゥーの倒産後、日本の映画産業は「テレビ局が関わった製作員会方式」による制作・配給がますます台頭していきます。
大手芸能事務所のスター俳優たちのスケジュールを押さえ、集客が計算できる人気コミック原作で映画を量産する体制が一般的になりました。
『血と骨』のように、アクの強い映画がシネコンで公開されることはほとんどありません。
2010年代以降を生きる若い映画ファンにとっては、手軽で何も考えずに見られるものが「面白い作品」となりつつあります。
また、ザナドゥーがヒットさせた『ムトゥ 踊るマハラジャ』『レクイエム・フォー・ドリーム』などは、ポップカルチャーのアイコン的存在でした。
いまや、日常の価値観を揺さぶるような作品に触れることで、自分の感性や知性を磨くような体験が映画館ではできにくくなっています。
ザナドゥー倒産は日本映画産業の転換期を意味していた!それでも忘れたくない会社の信念
2009年のザナドゥー倒産は、日本の映画産業が劇的に変わっていく過程で避けられない事件でした。
人々が「刺激と興奮」を求めて映画館に通う時代から、「宣伝で質が保証されているもの」を確認する時代に変わっている最中だったからです。
あくまでも作り手の思いや情熱を大切にしてきたザナドゥーが存続し続けるのは難しかったのでしょう。
それでも、ザナドゥーが約13年間で見せてくれた意識の高さは、すべての社会人に忘れてほしくありません。
お客さんが望む商品・サービスを提供することはもちろん大切です。
しかし、まずは売り手が心から商品を「いい」と信じられなければ、不誠実なビジネスになってしまうのではないでしょうか。
ザナドゥーは、自分たちが信じる作品と運命をともにした会社です。
それほどまでに、仕事にのめりこむ姿勢は誰もが見習うべきでしょう。